特に当社がこだわっているのは・・・

品質を落とさず、丁寧に迅速にお届け!
使用目的に応じて最適な材木を選定します。

材木は乾燥が大事、だからこそ手間暇かけて管理しています。

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材木は乾燥が大切。

気温や湿度、風通しなど、保管状況によりカビの発生や割れ曲がり

ときには腐れなどにより強度が落ちる事もあります。

木材の種類、寸法により適切な乾燥手順、保管方法を決め、

一つ一つ丁寧に管理していきます。

松や欅などの乾燥には5年以上の時間をかけて乾燥させます。

その間、狂いや割れなどが発生して、使えない材料になる事もありますが、

お客様に納材した後に割れや反りが出るような事が無いようにしっかり

時間をかけて保管乾燥させています。

1本1本育った環境の違う木ですから、思い通りにいかない事も多いのですが、

これまで培ってきた経験をもとに、更なる知識向上に日々努めています。

良い目利きが出来るからこそ、良い商品が提供できます

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高品質の木材を提供出来るのは、良い目利きと

多彩な仕入れルートがあるからこそ出来ることなんです。

どんなに良い木材でも、きちんと目利き出来る人材がいないと宝の持ち腐れです。

弊社では、社外講師による研修会、商品研修会など、

日々勉強に努め、会社を上げてレベルアップを目指しています。

今まで培ってきた伝統の知識の上に、

最新技術も加わり、最高の商品をご提供出来るのです。

又、スタッフ同士の距離が近く連携が密に取れているのも当社者の強みです

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報告・連絡・相談(ホウ・レン・ソウ)を大切にし、コミュニケーションを図り、密に意思疎通をしています。

また、社員全員の仲が良く普段からたくさん会話をしているので、トラブルの時なども早急に対応が可能です。

楽しい仲間紹介

木の話

自分の尊敬する秋田県立大学木材高度加工研究所教授の林知行さんの興味深い話を少しアレンジして紹介したいと思います。
科学的な話でありながらも突き詰めていくと哲学的、宗教的な話になりますが巨樹巨木になぜ生命力を感じるのか、
なぜ鉄筋コンクリート製のお寺や神社にありがたみを感じにくいのか、なぜ国産材の方が親しみを感じやすいのか、
そんな疑問の答えがわかる気分にさせてくれる話です。

【人が死んだらどうなるのか】

「1人の人間の体内には膨大な数の炭素原子が存在しています。
人が死んで火葬されると体内の炭素原子が二酸化炭素となって空中に拡散します。
この炭素【人】が地球上にくまなく拡散したとすると、その密度は驚くなかれ、1リットルあたり約8万8000個になるそうです。
(体重が50kgの人の場合)。
このことから考えて、既に亡くなられたあなたのお父さんやお母さんの体の一部であった炭素【父】や炭素【母】も、
数は減っているにしても今まさにあなたの周辺に何十、何百個も存在しているはずです。
生きとし生けるものは炭素循環のなかですべてつながっているのです。
いわゆる輪廻転生も、炭素循環の原理から簡単に理解できます。
炭素【人】は死んで空中に飛散し、それが光合成によって植物に吸収されます。
つまり、炭素【人】は炭素【植物】に生まれ変わるのです。
もちろん、炭素【穀物】のように動物に食べられる事によって炭素【動物】に生まれ変わるものもあります。
また、炭素【草食動物】が炭素【肉食動物】に変わることもあります。
さらに、炭素【木材】のように長期間固定された後に元の循環の輪に戻っていくものもあります。

私の祖父であり高尾材木店 創業者である高尾修は2011年11月28日に亡くなりました。
祖父の遺体は翌々日、琴浦町の斎場で火葬されました。
祖父の体を構成していた炭素【祖父】は、火葬されている間に空気中に拡散されたはずです。
そのうちのどれくらいが植物や水などに吸収・吸着されたのか、また二酸化炭素の拡散速度がどれくらいだったかは不明ですが、
いまから数えて6年前のあちこちの樹の年輪のなかには、祖父の炭素が吸収されて、【祖父】まさにその年輪の中に存在している……。
このことは私に限った話ではなく親族を亡くされている皆さんすべてにあてはまる話です。
今我々が取り扱っている材木の中、あなたがお住まいの家の柱には、ご先祖様が存在しているのです。

木に惹かれる理由。
暖か味や、安心を感じるのはそういう事ではないでしょうか(笑)。

会社ヒストリー

創業者である高尾修(祖父)は川西航空機で戦闘機の設計をしていました。
戦後地元に戻り都心部で就職しようと思っていたそうですが、長男だった事から地元に残ることを選択、近所にある製材所に勤める事になりました。
ところが、勤務先の製材所が店を閉める事になります。
(昭和23年6月の事です)そこで売れ残りの材料を分けてもらい、自分で商いを始めることになります。

当時トラックは無く、道路も整備されていない状況の中、運搬方法は大八車や人の手によるものでした。
瓦などの資材は、鉄道で運ばれてきたものを1枚1枚駅ホームに手で降ろし、それを又倉庫まで持ち帰っていたそうですから、かなり大変な重労働だったとおもいます。
自宅兼事務所の狭い場所で倉庫も小さく、配送方法も限られている中、知恵を絞り徐々に商材を増やし、倉庫を増やし、人を増やし基盤をつくっていった創業者である祖父は堅実で計算のできる人でした。

昭和59年、二代目、高尾敏雄(現会長)代表就任時
有限会社高尾材木店が設立されます。
行動力のあった父は次々と仕入れルートを広げていきます。
吉野や大阪、津山、後に土佐や九州にまで仕入れに奔走します。
当時この辺りに無い商品を集める事が出来た事が、当時の高尾材木店の大きな成長要因になっているとおもいます。
まだ高速道路もまちまちな中、仕事終わりに出かけて行き、道中車の中で仮眠をとり、次の日の朝から競りに参加していた会長はエネルギーの塊みたいな人でした。現在もそうですが…(笑)

そうこうしてるうちに商いも大きくなり、倉庫の小ささに限界を感じた父は、少しづつ土地を買い足し倉庫を建てていきます。
当時規模を大きくすることに反対だった祖父とこのままではダメだと思っていた父との殴り合いの喧嘩(殴っていたのは祖父だけでしたが)をみる事が何度かありました。
今振り返ってみると父(現会長)の判断は的確であり、事業を拡大していく上でとても大きな決断だったとおもいます。
超がつくほどのトップダウンな人ですが、信頼と実績を積み上げた頼りになる経営者でした。

平成20年4月 三代目、高尾修治が代表取締役社長に就任します。
弟である専務取締役、高尾大吉と共に現在奮闘中です。
この先の歴史はもう少し先に進んでから…。

高尾材木店の歴史

平成10年新事務所建設開始